KHJ高知県やいろ鳥の会

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私たちの声


~ひきこもり整体師のひとりごと~

令和4年6月第8回

自己紹介:楠永洋介

小学校3~4年を不登校、次いで中学校1年2学期~2年生を不登校、義務教育期間中は正味5年程しか登校していません。定時制高校を卒業後、進学、卒業を拒否して祖父の遺したお金でネットスクールや、ワークショップ、FXなどを経験してお金を溶かしました。なんやかんやあって結婚後、2人の子供を授かる。現在、農業、整体業、塾講師等で生計を立ててます。

ひきこもり整体師の楠永です。今月は僕の半分の話、つまり親父の話をしてみますね。

親父との想い出

親父の話、なんて切り出してはみたものの、僕に親父との想い出はあんまり無い。それは僕が生まれる年に親父は単身赴任になって、最初の頃は数ヵ月に一回だった帰省頻度がだんだんと延びていき、僕に物心がつく頃には一年に一回になっていた。だから僕の幼少期の親父のイメージは「年一で家に来る『父』と呼ばれる人」だった(こんなこと言うと草葉の陰で泣いてるかしら)。それでも今思えば一応親父の思い出は数える程だけど、これから思い出していくのかも知れないけどあるにはある。

何故今さらそんな親父を思い出してみよう。と思い至ったかというと、僕はどちらかと言えば、というか明らかに、顔立ちはお袋に似ている。そして最近自分にも血の繋がった家族が出来て、折に触れ写真など撮ることが増えたのだけど、その肖像の中に明らかに親父の「薫り」というとずいぶん臭そうだけど、まあそういった形にはなっていない「らしさ」みたいなものを写真に写る自分に感じることが増えてきた。「あれ?これお袋じゃないなぁ、昔の写真でこんな奴みたな、あ、親父か」みたいな。親父は数年前に亡くなって、これまでの人生において一切親父要素なく育ってきた僕は彼の命日はおろか、誕生日さえも未だにちゃんと覚えていない(でも誕生日は母と同じだったな)。

そんな彼との邂逅を、今さら自分の写真を通してするとは思いもしなかった。

思い出たち

親父は釣りやサッカーをしていた、サッカーの試合が終われば仲間を招いて宴席を設けた。でも彼の口数はとても少なかった。宴席でも言葉少なく、みんながワイワイ楽しんでいる姿を見るのが好きだったみたいだ。口下手な親父の言葉の印象は「おう」とか「ああ」とかそんな声ばかり。エピソードとして覚えているのは「掛け算くらい出来ないと困るよ」とか言って目下登校拒否中の僕の掛け算の暗記を手伝ってくれた声と、「石鹸を泡立てる時はこうやってさ…」とお風呂の時に石鹸の効率的な泡立てかたをレクチャーしてくれた声。浴室の洗浄用タオルを綺麗に畳んで、最後に2つに折る時に石鹸をくるみ、タオルの上から石鹸を手で包む様にしてから手を洗う時みたいにタオルと石鹸を擦り合わせると、ホイップクリームみたいになめらかな泡が生み出された。それを身体中に付けて遊んだのをなんとなく覚えている。

もう一つ思い出される事があって、家族4人全員で釣りに行く事になったのか現場の堤防についた頃には僕は寝ていた、起きると親父は1人車から出て釣りを始めていた、現に戻った僕がそれを見て外に飛び出す、親父1人、母親は車中でそれを眺めている。兄貴も寝ていたようで母は外に出るつもりはないようだった。外に出たものの状況を把握しかねた僕は車中の母に釣りをするジェスチャーで「ここで釣りするの?」と尋ねた。母も車中から頷き、釣りが出来ると分かった僕は親父の所へ駆けていった。

ピンぼけの父親

以上が思い出されるホントに僅かな幼少の僕と親父の記憶。話は変わるのだけど、ある時ビニールハウスの張り替えをしている人々(だいたい10人くらいで作業する)の中のある親子(父60代、子30代)を眺めていた。お父さんが「そうじゃないわや!こうやってやらにゃいかんろが!」とか言って息子に檄を飛ばしていた。ビニールの張り替えはチームプレー、みんなの息ややり方、調子が合わないと上手くいかない。どう返すのかな?と僕が見ていると息子は「わかっちゅうわや!そぉってやりゆうわや!思い込みで得手勝手なことゆうな!」とまあ他の人も居るなかでおもいっきり親父に対する怒りを表明していた。それを見た時その子が、そのお父さんのお葬式で赤ちゃんみたいに大きな声でエンエンと泣く様子が僕の中に想起された。

実際どうなるかは別にして、憤慨や悲哀あるいは愛慕の感情をぶつける父が居るその子の事を僕は内心指をくわえて見ていた。僕が親父に対してどんな感情をぶつけても、夕焼けの大洋に吠えるようで、なんだか手応えがないから。ま、当たり前だ僕は親父を何も知らない。僕は親父が死んだ時、泣くことも無かった。泣く程の思い出もなく、もっと生きていて欲しいと思う程の繋がりも無い。その事実?がただただ哀しくて少し目頭が熱くなった。でも、それだけだった。

今さら

 もっと前に父に興味を持ちたかったと今さら思う。そんなに難しい話じゃなくて、初めて好きになった人はどんな人だった?とか、釣りは誰に習ったの?とか、サッカーやってて何が楽しい?とかそんな他愛もない事を聞いてお酒でも酌み交わしたかったな。と今思う。でもその全部が遅すぎる。

 少し湿っぽい話なってしまったけど、今月はここまで。最後に親父のエピソードをもう一つ、これはお袋から聞いた話なんだけど、親父とお袋が付き合っていた頃の話、一緒に草サッカーの試合場に行っていた時の話(お袋は応援)、お袋は飲み物(だったかな?)やなんかを両手いっぱいに抱えて試合場に向かう階段と闘っていた、親父は自分の使うスパイクシューズとフットボールだけを持って軽やかに階段を先に駆け上がる。階段の下からお袋が「これ!見て!なんか思わん?」と親父を呼び止める。親父は少し黙って、「…頑張れ!」と言ったそうな…。僕も嫁さんによくデリカシーの無さを注意される(僕はこういう事を言いかねない人間だ)から気を付けないとなぁ。と思う反面、親父が僕に遺したものだと思うと、こういう感性を大事にしたくもなる。

御礼
 今月も最後までお付き合い頂きありがとうございました。ともあれ親子の縁とは好こうが嫌おうが、はたまた会うこともなかろうと、筋張った肉の様で切ろうとしてもなかなか切れないし、切ったと思っても奥歯の隙間にスジが挟まっていたりして、その関係性を完璧に断つのは出来ないもののようです。では、また来月にお会いしましょう。
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緑陰整体指導研究室

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