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本掲示板は、引きこもっているご本人やご家族の交流を目的に開設しています。本掲示板を利用するに当たっては、以下の行為を行ってはならないものとします。

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2.第三者又は他の会員に対する詐欺や脅迫、侮辱、名誉毀損、信用毀損、又はわいせつ物陳列などの行為
3.商業目的や宣伝目的で利用する行為
4.他の会員になりすまして上記行為を行う行為
5.上記行為を助長する行為
6.その他、管理者又は当会が不適切と判断する行為

上記に該当すると認められる場合には、管理者が事前の通知なしに投稿そのものを消去することがあります。また、本掲示板の利用目的が著しく逸脱した場合、予告なく運営を中止する場合があります。
なお、本掲示板の利用に基づき紛争が発生した場合、管理者及びKHJ高知県やいろ鳥の会は一切の責任を負わないものとします。

内容をチェックの上、掲載します。削除依頼などはこちらまでメールでご連絡ください。

Comments (23)

23 Comments »

  1. 2011年1月、ホームページ開設おめでとうございます。
    年末に香川県さぬき市の松田先生のポレポレ農園ツアーに行きました。楽しかったのでまた行きたいです。しっぽくうどんが美味しかったなぁー。

    コメント by オレンジ・ボニート — 2011年1月21日(金曜日) @ 17時44分11秒

  2. 昨年秋のKHJ東京全国大会以降、末期の肺がんで闘病中であった、全国引きこもりKHJ親の会代表の奥山雅久氏が、3月2日午前、お亡くなりになりました。
    告別式等の日程はKHJ親の会本部の掲示板にて告知されています。
    心よりのご冥福をお祈り申し上げます。

    コメント by むつみ — 2011年3月3日(木曜日) @ 23時49分48秒

  3. 奥山さんの事を思い出しています。去年の夏やいろ鳥の会4周年フォーラムに無理をおして来て下さいました。高知空港に着いて開会まで時間が有ったので、奥山さんは土佐の海を見てみたいと桂浜へ行かれました。「埼玉には海がないので、来て良かった。土佐の海は雄大だ」と言っておられまた。
    思い出すと目頭が熱くなります。

    コメント by 泣き虫ゴン太 — 2011年3月5日(土曜日) @ 18時03分15秒

  4. 奥山さん残念です。お会いしたときはすごく顔色がよく元気そうだったのに。

    この間知ったのですが、勝山実さんをご存知でしょうか。自身のことをひきこもり名人と名乗り「ひきこもりカレンダー」という本を出版したりしている方です。彼の言葉を追うとなんだかグニャっと頭がやわらかくなったような、そんな感じを僕は受けました。
    ひきこもりの自助グループやKHJの会に懐疑的な面ももっていますが、なんだか憎めない印象をもちました。斎藤環さんはひきこもりのトリックスターと評したそうですが、彼の言葉を眺めてみるのも楽しいかもしれません。

    ウィキペディア
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E5%B1%B1%E5%AE%9F
    ここからブログまでとんでいけるでしょう。

    コメント by tomo — 2011年3月7日(月曜日) @ 18時50分57秒

  5. ふと思いついたのですが、家庭の中で誰かが少し生き方を変えると言うことは家庭全体ではすごく創造的な事なのではないだろうか・・・・・・・・・

    コメント by オレンジ・ボニート — 2011年6月6日(月曜日) @ 12時28分46秒

  6. 暑い日が続いていますが皆様いかがお過ごしですか。

    私も暑さのなか仕事をがんばっております。

    最近考えるのです。3.11以降社会の価値観が大きくゆらぎ個人個人でもこの先の不安が大きくなってしまうような時代を強く認識してしまうようになってしまっているように思います。
    私も仕事の先行きが不透明度を増しているのを実感しております。

    不安な毎日ですがこんな時には心の基礎になる安心感を得られる居場所というものはとても大事なんだなと思います。そんな居場所があり楽しさや嬉しさなんかが上乗せされておいくのが充実した毎日を送るという事なのでしょう。基礎は大事だと思います。辛くて挫折感を持ったとしても基礎が壊れない限りそこからまたスタートできるのではないでしょうか。

    コメント by tomo — 2011年8月12日(金曜日) @ 10時57分23秒

  7. もしも、芹沢俊介氏が言うようにひきこもりの全面肯定ができたのならば、もはやその家族にとってはひきこもりという問題は無くなり、本人が生存できるかどうかと言う経済的な問題になってしまうのではないか・・・・・・
    引きこもることは犯罪でもないし恥ずかしいことでも無い。誠心誠意正直に社会に直面しようとすれば、社会のなかで相対的弱者を淘汰し踏みつけて出世する事のほうが犯罪ではないのか。そのような社会への迎合を拒否したとしても何が悪いのだ。そのような社会のルールに埋没するより社会そのものを変革する事のほうがより正当ではないのか。・・・・ひきこもる若者たちよ。自らを責めるな。君たちは純粋だ。君たちはイノセントだ。君たちは愛されるべきなのだ。

    コメント by Taud Lakeman — 2011年9月17日(土曜日) @ 21時39分07秒

  8. なんとなく詩でも書いてみたのです。
    そのままなんとなく投稿してみます。

    「哲学の門」

    考えなさいと言われたんだ

    僕は考えた

    そしたら今度は

    考えすぎといわれたんだ

    だから僕は

    考える事と考えすぎる事と

    後それと

    考えない事を考える破目になった

    なんてこった

    コメント by tomo — 2011年10月28日(金曜日) @ 13時04分58秒

  9. もしも、芹沢俊介氏が言うようにひきこもりの全面肯定ができたのならば、もはやその家族にとってはひきこもりという問題は無くなり、本人が生存できるかどうかと言う経済的な問題になってしまうのではないか・・・・・・
    引きこもることは犯罪でもないし恥ずかしいことでも無い。誠心誠意正直に社会に直面しようとすれば、社会のなかで相対的弱者を淘汰し踏みつけて出世する事のほうが犯罪ではないのか。そのような社会への迎合を拒否したとしても何が悪いのだ。そのような社会のルールに埋没するより社会そのものを変革する事のほうがより正当ではないのか。・・・・ひきこもる若者たちよ。自らを責めるな。君たちは純粋だ。君たちはイノセントだ。君たちは愛されるべきなのだ。

    +1

    コメント by Augustin — 2011年11月2日(水曜日) @ 9時58分09秒

  10. 先日、フードバンクの荷降ろしを手伝ってきました。
    荷物を送り出す側(メーカー)と荷物を受け取る側(フードバンク)の関係や纏わる事情を知れて勉強になったなあ。
    いろんな事情があるんだなあと知らない世界を垣間見た気がします。
    何よりいつもと違う作業はなかなか面白かった。
    また参加してみたいですねえ。

    コメント by tomo — 2012年5月17日(木曜日) @ 17時47分24秒

  11.    家族になろう   Taud Lakeman 2012年6月24日

    小さな頃の子供を思い出し   元気な頃の子供を懐かしがる
    昔の子供を思っては      今の子供と比べてしまう
    知り合いの子を見ては     自分の子供のふがいなさを嘆く

    どうして動けないのかと 子供を訝しがる
    出来ないことばかり目について  子供を咎める
    何故働かないのかと 子供を訊う

    昼夜逆転の生活を       人に知られないように願う
    普通に働かないことを     不道徳のように嫌う
    普通に生きられない事を    家の恥のように思う
       
    親は「出来ない」子供を 受け入れられない
    親は「条件付き」でしか    子供を愛せない
    親は「無条件で」子供を    愛する事を忘れている

    親は何故働かない生き方を   認められないのか
    親は何故仕分けせずに     人間を受け入れられないのか
    親は何故あるがままの     人間を愛せないのか
       
    全ての自縛を解き放し     もう一度自分の子供を抱きしめよう
    ただそこに存る命を      その苦悩もろとも抱きしめよう
    何も問わず 命を抱きしめよう

    全ての自縛を解き放し    命に命として向き合おう
    そして無条件で        抱きしめよう
    そしてもう一度        家族になろう

    家族になろう

    コメント by Taud Lakeman — 2012年6月28日(木曜日) @ 6時54分53秒

  12.    家族になろう         2012年6月24日

    小さな頃の子供を思い出し   元気な頃の子供を懐かしがる
    昔の子供を思っては      今の子供と比べてしまう
    知り合いの子を見ては     自分の子供のふがいなさを嘆く

    どうして動けないのかと    子供を訝しがる
    出来ないことばかり目について 子供を咎める
    何故働かないのかと      子供を訊う

    昼夜逆転の生活を       人に知られないように願う
    普通に働かないことを     不道徳のように嫌う
    普通に生きられない事を    家の恥のように思う   

    親は「出来ない」子供を    受け入れられない
    親は「条件付き」でしか    子供を愛せない
    親は「無条件で」子供を    愛する事を忘れている

    親は何故働かない生き方を   認められないのか
    親は何故仕分けせずに     人間を受け入れられないのか
    親は何故あるがままの     人間を愛せないのか
       
    全ての自縛を解き放し     もう一度自分の子供を抱きしめよう
    ただそこに存る命を      その苦悩もろとも抱きしめよう
    何も問わず          命を抱きしめよう

    全ての自縛を解き放し     命に命として向き合おう
    そして無条件で        抱きしめよう
    そしてもう一度        家族になろう

    家族になろう

    コメント by Taud Lakeman — 2012年7月12日(木曜日) @ 17時59分50秒

  13. 「わかってやれなくて・・・・」
    2012年10月28日 坂本勲

    不安から逃れようとして
    認められたくて一生懸命働いた
    泣き言を言わず弱音を吐かず
    心を鬼のようにして働いた
    それでも不安はまとわりつく

    できる事に価値があるんだと
    出来ない者をさげすんできた
    出来なければ無価値だと決めつけて
    自分は強いと思いこんできた
    そして お前がひきこもった

    私はすっかり動転してしまい
    怒りなじり無視してしまった
    何もできないお前を見て私は
    心の底から恐ろしくなった
    なにもできない我が子を認められない

    目の前にいるお前を認めてやれないなんて
    私の心は強かったのではなく乾いていただけ
    ただ在るだけのお前を認めたら
    自分が創り上げたものが消える恐怖
    本当は 自分は弱かったんだ

    いやお前はただ在るだけではない
    その事を何故解ってやれなかったのか
    お前の苦しみと生きるつらさと未来を
    何故解ってやれなかったのか
    解ってやれなくてごめんよ

    コメント by Taud Lakeman — 2012年10月28日(日曜日) @ 23時20分50秒

  14.       ガンさんの農園日記     2013年6月8日(土)

     6:15AM農園着。B面の里芋を入れた畝のあたりの草引きをする。途中、駐車場で草刈りを始めた人がいたので、ボクも手伝う。駐車場の地主さんから草刈りを頼まれた人だった。ちょっと挨拶して「ひきこもりの子どもをもつ親の会というのがあって隣の畑を使わせてもらっているので時々ここに駐車させて貰っています。」といった話をした。ヘンな男が突然草刈りを手伝い始めたからその人をビックリさせたかもしれない。先日Sさんが刈ってくれた所にも気づいて「オタクがかってくれたんですか?」と聞かれたりもした。雰囲気の良い人だった。ちょっと手伝っただけなんだけど、えらく恐縮されてしまった。その後ボクは草引きに戻ったが、その人は駐車場へ入っていく道脇をきれいに刈っていた。

     土曜の農園。誰もいない。一人でB面の草を引く。何か知らないけれど日常の仕事でささらだっていた気持ちが落ち着くような気分になった。ずっとしゃがんで草を引くのは足腰が痛くなるし、後で気づいたんだけど道具を使っていた右手の薬指にマメが出来ていたりして結構真剣に草を引いていたのだなと思うが、何故かその間の気分は良かった。よく草を引いたりするのは心と体に良いと言われたりするけど、作業自体はそんな楽な事じゃない。だけど「おーのしんどい。」と思ったそのちょっと先に体は「もうそろそろ休んだら?」と言っているのに、手が止まらなくなっている自分があったりする。それが体はしんどいんだけど心は軽くなっているということかもしれない。きっと草引きは心と体に良いんだろうと思うけど、心にまでその効果が及ぶには少しずつ繰り返して基礎となる体力やら、自分と体との関係が出来てきてからのことなんだなあなどと思いながら草を引いていた。
     ふと昨日のことを思う。S君が来ていて草引きを手伝ってくれた。「どこの草を引きましょうか?」と彼に聞かれたので「じゃあ、この畝にしようか。」とボクはこたえた。ボクはやりかけていた隣の畝が済んだのでS君がやっているところに移り、さあっと済ませてしまった。S君が3分の1、後から入ったボクが3分の2くらいだったのかな。「ヨッシャ 終わり」なんだけど、農作業としての実務的なことだけで、「ヨッシャ 終わり」はどうもまずかったなぁと思った。仕事なんてのは、楽々と済んではいけないのだ。苦労してやっこら始末がつけられてこそ心の糧になる。S君にそこは任せてボクは他のことにまわった方が良かったのかもしれない。彼がひと畝済ませて「ああ、やっと終わった。」と振り返れるようにしたほうが良かったのかもしれない。今日一人でB面の草を引きながらそんなことを考えていた。
     でもなあ。ボクはそんなことする気はさらさらない。自分のことだけで精一杯なんだ。農園に入れた作物のこと、農園で生きる虫や草のこと、彼らとどう折り合いがつけられるのか、それがいつもボクの大問題なんだ。きっと農園を通して何か凄いこと、めざましいことはきっと数年に一度生まれれば大成功なんだと思う。農園に一番大切なことは継続させること。そして、農園に来る人が少しづつでもいいから増えていくこと。それが大事だと思う。
     Kさん、Oさん、Tさんらが丹誠してくれたひまわりがもうすぐ咲き始める。コスモスもちらほら花を付け始めた。どんな初夏の風景になるのか楽しみだ。カラカラの畑に水やりをして帰る。

    コメント by Taud Lakeman — 2013年7月1日(月曜日) @ 6時31分09秒

  15. 2013年10月11日、高知新聞のコラム閑人調から転載しました。
    --------------------------------
      ひきこもり

    何時の頃からか「ひきこもり」なる言葉が聞かれるようになり、
    それと共にひきこもりとはよく解らないという声も聞かれだした。
     未だひきこもりに関しての社会啓発は不十分なので無理もない。
     解らない理由の一つに、ひきこもっている人も、その家族も
    他の人に知られたくないと隠す傾向があるからかもしれない。
    別に人に迷惑を掛けている訳でもないが、何か恥であるかのよ
    うに隠してしまう。
     隠す事で、当人は家族から孤立し、家族は問題を抱え込み
    社会から孤立して、ますます回りからは見えなくなる。
     そこがひきこもりの難しい所と常々考えさせられる。
    一体何がそれほどひきこもる人や家族を苦しめるのだろう。
     ひきこもっている人は自分を責め、家族は自分達の育て方
    のせいではないかと悩む姿を多く見てきた。何故そうなった
    と原因を探しても解らない事が不安をかき立てる。家庭の中
    だけでは解決できない。
     こんな時は家族会に繋がって、先ず親が心の重荷を下ろし
    て、ホッとする事が大切だろう。県内にもそうした居場所が
    ある。親が安心できた分、子供も心が軽くなるという話はよ
    く耳にする。              (則)

    コメント by 坂本道則 — 2013年10月11日(金曜日) @ 11時16分42秒

  16.    親子の会話
     せめて家庭の中では安心して会話を楽しみたいものだが、
    親子の間で日常会話がほとんど無いという家庭もあるようだ。
     特に子供がひきこもってしまうと会話がなかなか成り立たない
    場合がある。ひきこもっている子供の考えを聞こうとしても何も
    言わないので解らないと嘆く親も少なくない。
     そんなとき、よく話を聴いてみると別の事が見えてくる。
    親は話を聞こうとしてと言っているが、実際は子供がひとこと
    しゃべると親の常識論で倍返をして押さえ込んでだり一方的に
    批判しているのではないか。
     「親は本当に話を聴く力があるな」と感じていれば、子供は
    聴いてもらいたいことが少なからず有るのだから会話になると思う。
    しかし、親が聴いてくれるという感じがしなければ、子供は親には
    何を言ってもダメだと諦めるしかないのではないか。
     ひきこもりの家庭の話として書いたが、この話、世の多くの家庭に
    当てはまりはしないだろうか。
     反論したい気持ち、指示命令したい気持ちを抑えて、じっくりと
    人の話を聴くと言うことは、案外難しいと思い知らされているこの頃。
    果たして我が家はどうだろうか?
    (則)
    2013年9月18日

    コメント by 坂本道則 — 2013年11月9日(土曜日) @ 22時15分09秒

  17. 生きづらさ

     ひきこもっている人に投げつけられる言葉の一番は
    「甘え!」というものだ。
     かくいう私もそう思っていた時期があって、ひきこもりを
    経験した人たちに随分と教えられ諭された。なんと勝手な
    思い込みでひきこもりを見ていたことか。
     一定元気を回復して、自助会などに出られるようになった
    若者でも、生きづらさについてはよく発言がある。なにしろ、
    「づら研」(生きづらさ研究会)という集まりもあるくらいだ。
     不登校から、あるいは病気、入学試験や就活でつまずいたり、
    就労しても30代でひきこもったりとさまざまだが、共通する
    キーワードは生きづらさに落ち着くだろう。
     一体若者は何を生きづらいと感じているのか。つらさや
    しんどさをがむしゃらに乗り越えてきた年配世代は、釈然と
    しないかもしれない。思わず、「甘え!」と言いたくなる
    人もいるだろう。だが、今の若者が感じている生きづらさは、
    同じ世代でないと実感できないのかもしれない。
     内閣府の調査で、ひきこもっている人は全国に70万人。
    一方で、ひきこもっている人の気持ちがよくわかるという人
    (親和群)は150万人を超す。「甘え!」と
    いう言葉だけでは片付けられない現実がある。(則)

    コメント by 坂本道則 — 2013年11月9日(土曜日) @ 22時18分12秒

  18. 親亡き後
     親は子どもの先々をいろいろと心配するものだ。ひきこもる子どもを持つ全国の親の共通する苦しみは、自分たちが死んだ後、この子はどうやって生きていくのかという事である。
     思い余った親が、わが子を手に掛けるという話はひきこもりの子どもを持つ親にとって他人事ではない。
     先の内閣府の調査では、ひきこもる人の数は70万人、全国親の会の推計では少なく見積もって100万人。親兄弟含めて一体どれほどの人が、この問題の渦中にいるのだろうか。
     一生懸命まっとうに生きてきた親が、老境に入ろうとする頃に遭遇するこの青天の霹靂をどう受け止める事ができるのだろうか。
     ひきこもりが解決しなければ、親は子どもを残して死ねないと思う。かといって、何をもってひきこもりの解決とすればよいのだろう。あくまでも就労にこだわるべきなのか?
     親にすれば、堂々巡りの苦悩であり、いやが応でも親亡き後の財政問題に、心がからめ捕られてしまう。終わりの見えない苦悩は、心を穿ち時として病気を呼び込む契機にもなる。
     しかし、たとえ望みが無いように思えても、親が心の重荷を一時でも下ろすことができれば、次が見えてくる事もある。  (則)

    コメント by 坂本道則 — 2013年12月17日(火曜日) @ 12時14分12秒

  19. 閑人調・親の価値観
     人は皆自分の価値観を持つ。その中に、どんなにつらい時でも自分に鞭打って頑張ってきた「企業戦士」としての価値観を持つ人がいる。
     この価値観の人は、仕事をせずにひきこもって生きるということを認められない場合が多い。もし認めたら、今までの自分が消えてしまうような恐怖や不安を感じるのかもしれない。
     ひきこもりの子どもを持つ多くの親は、「価値観を見直せ」「親が変わらなければ」と言われても、大抵は困惑するばかりである。
     ただし、子どもを理解する努力を親がしなければ、家庭の中は険悪な雰囲気になる。どうしたら子どもを理解できるのか。
     「企業戦士」として頑張り通してきた親からすれば超難問であるが、ここはひとつ、心のストライクゾーンを少しだけ広げてみてはどうだろう。
     そうすることで親子関係が好転し、親自身が少しでも楽になれたらしめたもの。それを続けていけば、子どもも随分と楽になり、心にエネルギーがたまるのではないだろうか。
     回復までの長い歳月に耐えるのがしんどくなったときは、「仲間」の存在が助けになる。そうした場を提供するのも「ひきこもり親の会」の役割だ。 (則)

    コメント by 坂本道則 — 2013年12月17日(火曜日) @ 12時17分26秒

  20.   信じて待つ
     子どもが何年もひきこもっていると、親の心もだんだんと余裕が無くなる。子どもを動かすためにいろいろやってみるが芳しくないと余計に苛立つ。
     ひきこもり支援をしている人からのアドバイスに「安心してひきこもれる環境を整えてやりなさい。」というものがあるのだが、心が苛立っていたり、パニックになっていたりするとこのアドバイスを聞き入れるのは簡単ではない。
     子どもへの信頼感が足りないと「そんな事をしたら、ますますひきこもるのではないか」と思ってしまう。 そもそも、子どもがひきこもった時点で信頼感など吹き飛んでいることが多く、親は先が見えない不安に駆られて、子どもを問いつめたり叱咤激励を繰り返し、関係をこじらせる。
     しかし、心の力を失った子供にとって一番の薬は、自分がこんなになっても親は信じてくれているという『安心感』なのだから皮肉だともいえる。
     「変われ!」とせき立てるのではなく「今のあなたのままで良いのだよ」と条件を付けずに受け止めることのほうが、子どもだけでなく親の心をも随分と明るく元気にしてくれる。
     子どもを信じて待てるようになると親も人生を楽しめるものだ。   (則)

    コメント by 坂本道則 — 2013年12月17日(火曜日) @ 12時18分19秒

  21. 親の会
     全国各地に、ひきこもりの子どもをもつ家族会の支部がある。昨年末、全国40番目の支部が沖縄県で設立された。
     それぞれの家族が孤立と闘いながら、仲間とつながり、苦悩を乗り越えての設立である。高知での設立の時の苦労が昨日のように思い出される。
     高知県の親の会は2006年7月に誕生した。それ以来、先進的な活動と実績のある全国の団体から支援を受けながら、自分たちにできることを試行錯誤してきた。会の活動を担う会員が徐々に現れ、相談機関など社会的な支えにも恵まれた。
     活動は広がり、家族の心を支えるサロンや子どもの心理面の勉強会を定期的に開いてきた。子どもが社会参加するために経験を積む農園も設けた。
     そして県の支援で2012年8月、いの町に若者の居場所を開設した。そこには、いろいろな生きづらさを持った若者たちが集うようになった。
     居場所で、若者一人一人の人生のドラマを教えられた。心の内を聴き、元気になっていった若者のことを思うと、熱いものがこみ上げてくる。支援する親が、居場所に集う若者たちに癒やしをもらっている。           (則)

    コメント by 坂本道則 — 2014年1月14日(火曜日) @ 13時13分48秒

  22. 高知新聞、閑人調の続きです。
    --------------------------------
          親の会              2014年1月11日

     全国各地に、ひきこもりの子供を持つ家族会の支部がある。昨年末、全国40番目支部が沖縄県で設立された。
     それぞれの家族が孤立と闘いながら、仲間とつながり、苦悩を乗り越えての設立である。高知での設立の時の苦労が昨日のように思い出される。
     高知県の親の会は2006年7月に誕生した。それ以来、先進的な活動と実績のある全国の団体から支援を受けながら、自分達に出来ることを試行錯誤してきた。会の活動を担う会員が徐々に現れ、相談機関など社会的な支えにも恵まれた。
     活動は広がり、家族の心を支えるサロンや子どもの心理面の勉強会を定期的に開いてきた。子どもが社会参加するために経験を積む農園も設けた。
     そして県の支援で2012年8月、いの町に若者の居場所を開設した。そこには、いろいろな生きづらさを持った若者達が集うようになった。
     居場所で、若者一人一人の人生のドラマを教えられた。こころの内を聴き、元気になっていった若者のことを思うと、熱いものがこみ上げてくる。支援する親が、居場所に集う若者たちに癒しをもらっている。

          一寸待て! 2014年1月27日
     
     子どもがひきこもることは、親にとっても大問題だ。親の価値観に固執せず、速やかに見直すことができれば良いのだが、それがなかなかできない。
     家庭の中は険悪になり、子どもの「なぜ分かってくれないのか」という思いと、親の「なぜ働かないのだ」という思いがぶつかる。
     そして、ひきこもりが長期化すると腫れ物に触るような状態になる。家庭の中で波風を立てないように互いに無視したり、さらには親が子どものことを諦めたりする。
     悲惨で最悪なのは、親がひきこもりをどうしても許容できない時で、殺人に至ったケースもある。
     悲惨なことになる前に、「一寸待て!」と思いとどまってほしい。そのためには親が孤立せずに相談できるところとつながり、希望をともし続けることが大切だ。
     その際、親のエゴで子どもに期待すると、裏切られた時に腹が立つ。子どもの命に対する親の「願い」として希望を持つなら、裏切られても腹は立たない。
     八方ふさがりだと思っても過ぎてから振り返れば、それほど絶望的でなかったと分かる。小説・巌窟王のせりふにも出てくる。 「待て、しかして希望せよ」

          何時まで?             2014年2月11日

     子どもの長いひきこもりには、必ず出口があるものと多くの親はそう思っている。いや、そう思わないと長いひきこもりとの伴走には耐えられないからかもしれない。
     どんな困難なひきこもりでも、出口があると分かって入れはば、親はきっと耐えられる。
     しかし、出口があるものと期待して待つと、待っている時間のなんと長く感じられることか。ついつい「いつまで待てばよいのだ!」と怒鳴りたくなる。
     こんな時は親の会に参加して、多くの親が蓄積してきた知識や経験を学習することをお勧めしたい。
     親の会で勉強したことは、子どものとの向き合い方だけでなく、人間の理解にも役に立つ。何より、親自身が自分を理解することは、残りの人生にとってプラスになる。
     全国の親の中には、出口のあるなしではなく、別の解決の在り方を模索している人がいる。ひきこもりか就労かという二者択一の思考から離れると、また見えてくるものもある。
     焦り苛立って不安にさいなまれると、思考が固まってしまう。ひきこもりの解決に向けて、もっと柔軟に発想出来れば、親の心も軽くなるというものだ。

          芽吹き            2014年2月26日

     長いひきこもりの生活を経て、仲間が集まる居場所に顔を出せるようになった若者達が、先日、公的機関が開いたひきこもり支援者の会にも来てくれた。
     今までは支援される立場だった若者が、自らの意志で支援する側に立った。心の中でどんな変化があったのだろう。
     ひきこもっていた時に経験したこと、心の状態などを誰かに伝え、役に立ちたい。そんな願いが芽吹いたのではないかと思う。
     ひきこもりから抜け出して元気になれた時、自分を苦しめたものをなかったこととして消去するのか。それとも長い人生の一時期として受け入れるのか、人それぞれだろう。
     自分のことを語り始めた若者の行動は、まだ小さな芽にすきせない。その芽が大きく膨らみ、ひきこもった仲間のための居場所づりなどにつながってほしい。
     親たちも、ひきこもりの若者との交流会や居場所での活動を通じて、たくさんの元気をもらっている。高知にひきこもりの親の会ができた8年前に比べ、活動は活発になった。
     若者からの元気をばねに親の会の活動をさらに広げていけたらと思う。そのためにも、若者たちの芽吹きを大きく花開かせたい。

    コメント by 坂本道則 — 2014年4月12日(土曜日) @ 9時50分32秒

  23. ひきこもる子どもと親の苦悩――私の経験から 2020.1.14  高知福祉大会
    全国ひきこもりKHJ親の会高知県支部やいろ鳥の会会長 坂本勲

       やいろ鳥の会
     私たちの家族会は平成18年8月にできました。現在会員数は約100家族で活動しています。二代目会長を引き継いで6年になりました。
     活動予算は会員からの会費と自殺対策の補助金として年間200万円を戴き親の勉強会、居場所の運営、講演会、電話相談や訪問支援、各地の親の会や自助グループとの交流会などをしています。
     近年は県内の社会福祉協議会や民間団体から助成金を頂くこともあります。今年度は立正佼成会高知教会さんや西山グループさんから頂くことができました。嬉しい限りです。会を立ち上げたときは資金繰りに四苦八苦してやりたい活動もままならなかったのを思うと社会の受け止め方が随分と変ってきたのかとなぁと思います。

       晴天の霹靂
     去年10月31日、高知市内において開催された「高知県ひきこもりの人等に対する支援のあり方に関する検討委員会」において高知県地域福祉部の推計値として高知県内においてひきこもる人の人口は約6000人と発表されました。もはや引きこもる人の数はというにはあまりにも大きいのではないかと思います。引きこもる人は人口の何パーセントという段階に来ています。
     親と兄弟姉妹を合わせると2万からの人がひきこもりということで苦しんでいる状態になっていると思われます。しかし、そんなにたくさんの人がひきこもっているという実感は感じらないのではないでしょうか。すぐ近くにいるのに見えないというのもひきこもりの難しさを表しています。いるのにもかかわらず見えないのですが、決して透明人間になっているのではありません。隠されていたり隠れていたりというのが実際の所ではないかと思われます。あるいはひきこもりという状態にあるという事を認識できていない場合も考えられます。
     私の子どもは36歳で、ひきこもってからもう15年を超えました。最初のころは何が何だかわからずにパニックになりそうでした。そうなんです、親として理解できなかったのです。怒ったりなだめたり励ましたりと良かれと思う事を一通りフルコースやってみますが殆ど効果がないばかりか、親子関係が険悪になったりということもありました。最初は本当に何が何だか分からないままいろんなことをしたものです。しかし、どうにも変化がないことが分かると親の方も目を外に向けます。世の中を見渡してどういうことが自分の子どもに起こっているのか探そうとします。いろんな本を読んで解決の答えを見つけようともします。しかし、どの本にも親が納得できる答えは書いていませんでした。
     私が運が良かったと思うのは、そんな時にひきこもりの家族会に出会えたからです。もしも、家族会に繋がらなかったらどうなっていたかと思うと寒気さえ覚えます。取り返しのつかないことをするのはたいていは親が孤立しているからだろうと思います。逆に運悪く親の会に繋がらなかった場合にはどうなっていたのでしょうか。親が不安に任せて本人の望まないことをし続けてどんどん親子関係が悪化していくと親は藁にもすがる思いになります。そこに甘い言葉をかけてくる自称支援団体・更生施設の宣伝が目に入ると思わず縋り付くという事になるかもしれません。その結果、法外なお金を取られ親子関係は破綻してしまい、子どもの心には大きな傷を残すことになります。こうなってしまうと修復するのは並大抵ではありません。
     しかし、大半の家族はその両者の間を行ったり来たりと揺れ動くことになるでしょう。ひとつの事に一喜一憂したり、ひきこもりのことを知らない人からいろいろと言われて傷ついたりコロコロと言動を変えてみたり、子どもの機嫌をとるために子どもからの要求に従い続けたり、腫れ物に触るような対応を続けたり・・・・しかし、ひきこもる子どもが一番堪えられず済まないという気持ちになるのは、ひきこもる自分のことで両親が夫婦喧嘩をすることです。間違いなく夫婦喧嘩は子どもの心から力を奪います。
     多くの家庭では母親が子どもに寄り添おうとしますが父親は容認できず夫婦が同じ方向を向いて子どものために生活するというのは多くないように思われます。やいろ鳥の会の中でも夫婦が協力している家庭は家族の雰囲気が明るいように思われます。企業戦士としての価値観を持ち立派にやり遂げてきたという自負のある父親はなかなかひきこもりの子どもを認められないのかもしれません。
     今思い返しても家族会との出会いは大きい意味を持っていたと思います。沢山の人との支え合い、人の繋がり、学習と自己理解という流れは一人では達成できなかったように思われます。これらは子どもがひきこもったという青天の霹靂からスタートしています。そういう意味で我が子のひきこもりは私の人生を豊かにしてくれたといえます。

       親の不安
     子どもがひきこもってからの日々は親にとって不安との闘いです。日本には恥の文化があると言われますが、ひきこもって仕事をしていないということに対して何故か恥ずかしいという感情が湧いてくる人は少なくありません。親だけでなく子どももそのように感じて自分を責めることがあります。
    人に迷惑をかけているわけではないのに世間を気にした過ごし方をしている家族は結構多いのではないかと思います。
     あるいは仕事をしないことによる経済的困窮、そうなっていく我が家が世間からどのようにみられるのか、自分のステータスが崩れ去っていくのではないか。そして一番大きい不安は親亡きあとこの子はどうなるのかということです。それらの不安から逃れるために親はできることはフルコースでやってみますが、効果が芳しくないと分かるとその不安は怒りで彩られたり分からないということに対しての恐れのようなものも湧いてきます。或いは子供の回復を諦めてしまう親もいます。親はいろんな感情の坩堝にはまって自分を客観的に見られなくなる場合もありますし、不安や恐れという感情が昂じると生活が不安定になり健康にも良くありません。
     親だけでこの不安に対処するのは大変な事です。つくづくそう思います。ここに家族会の大きな役割があるようにも思います。大切なのは孤立しないことで、親の会や支援団体・相談機関と繋がることは重要なことだと思います。いたるところに居場所や集えるところがあれば良いなぁと思います。
     やがてひきこもりから回復した若者や親が行政の支援の下にピアの相談や訪問支援に携われるようになれば随分と親の孤立が防げるのではないかと思いますし、若者だけでなく親も、ひきこもりの経験をひとの役に立てることができる体制が必要ではないかと思います。そうなるためにはひきこもりの社会的理解と受け入れが大切になってくるでしょう。

       親の変化
     子どもがひきこもり、紆余曲折を経て親も経験を積み理解を深め交流を深め、子どもと共に生きていく中で、親も変化を遂げていきます。親自身の生き方を問い直す作業であるかもしれません。例え子どもが仕事に着かなくても家族として一緒に生きていくためには親子の信頼関係を再構築していくことが大切になります。あるがままを受け入れる心の柔軟さや安定を取り戻す作業であるともいえるのではないでしょうか。
     特に父親にとってひきこもりを認めるのは難しいことです。頑としてひきこもりの子どもを認めない父親をよく見かけますが、一生懸命頑張って辛いことに耐え家族のために身を粉にして働いてきたという自負が、ひきこもりを認めると消えて無くなってしまうような喪失感・屈辱感を覚えるのかもしれません。私もそのような時があったのでよく分かります。でもどんなに頑張ってきたという自負があってもそれだけでは子どものひきこもりの解決には何の役にも立たないのです。悔しいことです。
     50年も60年も生きてきた人間に生き方を見直せと言うのは酷な事ではありますが、変われない子どもに変われ変われと要求するよりも、まず親が変わって見せる事はできない相談でしょうか。子どものためにできることはいろいろやってきたのですが、本当はまだまだあるのに気が付かなかっただけなのかもしれません。自己理解を積み上げていくとひきこもる子どもが楽になるだけでなく親自身の人間関係も良くなっていき人生を豊かに生きて行けるように思います。
     私が10年以上前にカウンセラーから受けたアドバイスに、「子どものことを分かってやりなさい。分かってやれるように努力し続けてください。」
    というのがあります。未だに毎日子供のことを分かろうとしています。ひきこもらざるを得なかった苦しさとどうしようもなさを分かってやれる親になる事は家族が安定して幸せに暮らしていくためには大切なことだと思います。
     先日も妻と息子が話していました。「あんたの人生で今が一番ゆったりできているんじゃない?」「そだねぇー」というものです。他愛もない会話でしたが、自分らしくいられるという意味なのだろうと思っています。
     このまま時が過ぎていき、子どもも人生を終える時が来ますが、とてもその時までは付き合えません。願わくば私たち夫婦がいなくなり、やがて子どもが最後に自身の人生を振り返って、ひきこもっていたけれど家族みんなに気にかけてもらいそれなりに良い人生だったと思ってくれるだろうか。そうあってほしいというのが唯一の願いです。

    コメント by admin2 — 2020年3月8日(日曜日) @ 19時42分10秒

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