KHJ高知県やいろ鳥の会

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私たちの声


~ひきこもり整体師のひとりごと~

令和4年7月第9回

自己紹介:楠永洋介

小学校3~4年を不登校、次いで中学校1年2学期~2年生を不登校、義務教育期間中は正味5年程しか登校していません。定時制高校を卒業後、進学、卒業を拒否して祖父の遺したお金でネットスクールや、ワークショップ、FXなどを経験してお金を溶かしました。なんやかんやあって結婚後、2人の子供を授かる。現在、農業、整体業、塾講師等で生計を立てる。

ひきこもり整体師の楠永です。また気ままに書いていきます。まずは土佐弁でしたためた文章をどうぞ。

土佐弁、方言私感

最近になるまで土佐弁やら方言らぁゆーもんは意識したことなかったけんど、たまぁにコテコテの土佐弁をツコウおんちゃんの話を聴きよったら、なんとも言えん懐かしい気持ちになって、ひょっと、と思うて問うてみたら、案の定、母方のおばあのお里の大豊町出身の人やった事があったがよ。ほンじゃきに存外、人間の耳やら故郷への思いは正確なもんやと感心したことやったちや。

 ほんでまたある時に、ゆーちゅーぶを見よったら、ある英語の訛りに詳しいニイヤンがおってね、ほの人の話を聞きゆううちに、「訛りも悪うないなぁ」と思いはじめたことやったがよ?そのニイヤン曰く、英語にもアメリカ、イギリス、オーストラリアなんかの大まかな違いはモチロンあるけんど、そっからさらに北部やら南部やら、地域地域でもずいぶん違いがあるみたいな。そん中でうんと印象に残っちゅうのがその人が再々言いよった「訛りごとのメロディライン」という言葉やったがやけんど、そう思うて聴いてみたら、確かにひと口に土佐弁。というても東や西、ほれから北と南とか、なんて簡単に分けれんばぁ細かくイントネーション、アクセント、使う言葉そのものもチゴウたりする。言葉のことぁあとで言うとして、イントネーション、アクセントはまとめてメロディラインと思うてみるとこらぁなるほど。と納得がいく。

 そりゃあ当時の人がカーペンターズやビートルズ、あるいはかぐや姫の曲を聴いた時、当時の情景をありありと思い出すみたいに、お国言葉を聴くと自分がコンマかった頃に気持ちが舞い戻るようなそんな感じを受けるんじゃないろうか?

 そういう魅力が方言にゃああるように思う、言葉の本分にゃあ多くの人に通じてナンボという面があるけんど、訛りにゃあその土地で育まれた理やら、人柄、果てゃあその身体性まで顕れちゅうがやないかと僕は思うちゅう。

 他にも、なかなか共通語に訳しぬくかったり、ニュアンスを伝えれん言葉も魅力的やね。例えば「サボトナイ」や「オボソイ」とかは手元の資料じゃどこに語源があるがかも分からんがやと、まあ皆目検討もつかないということぢゃないみたいやけんど、ここで言いよったらページが足らんなるき、やめちょくわね。ほんで最後に僕が好きな土佐弁を何個か紹介さいてもらいますね。

「――シャンシモータ。バッサリイタ。」とか

「――忙しいに、すまんね。ありがとう」に対応する「ナンチャー」とかいう方言に僕は文章にはなかなか表せん魅力を感じるがよ。

ここからは前記の超訳

最近になるまで土佐弁や方言を意識したことはなかったのだけど、時々コテコテの土佐弁を使うおんちゃんの話言葉を聴いていると、えもいわれぬ懐かしい心持ちになり、もしかして、と思い尋ねてみると、やはり母方の祖母と同郷で大豊町出身の方であった事があった。だから意外と人間の耳とか郷愁とかは意外と馬鹿に出来ないものだな、と感心していた。

 またある時、YouTubeを見ていたら、やたらと英語の訛りに詳しい兄さんがいた、その方の話を聞いていると「なるほど方言訛りも悪くないな」と考えるようになった、その方曰く英語と一口に言ってもアメリカ、イギリス、オーストラリア等の大まかな違いはもちろんあるのだけど、そこからさらに北部地方、南部地方等の地域差もなかなか激しいそうだ。そんな話の中でもとても印象に残ったのはその方が逐次口にしていた「訛りごとのメロディライン」というフレーズただった。

確かにそう思って聴いてみると、一口に土佐弁と言っても東西南北などで簡単には分けられないほど細かくイントネーションやアクセント、なんなら使う言葉そのものも違ったりする。言葉の事には後で触れるとして、イントネーション、アクセントに関してまとめてメロディラインと言われると、上手い表現だと舌を巻く。それは当時青春期を謳歌していた人がカーペンターズやビートルズ、あるいはかぐや姫の曲を聴いた時に、当時の情景をありありと思い出すように、地元の方言を聴くと自分が幼少期に走った畦道が思い出されるような。そんな魅力が訛りにはあるかもしれない。言語の本分に『より多くの人間に通じてこそ』。という面はあるけれど、訛りには訛りなりにその土地土地で育まれた理とか、人柄、あるいはその身体性とかまで顕れているのかも知れないと僕は思ったりする。

他にも、なかなか共通語には見受けられない、ニュアンスを伝えにくい言葉たちも魅力的だと思う。例えば「サボトナイ」や「オボソイ」等という言葉はそもそ語源からして良く分からないらしい。皆目検討もつかない訳では無いようだけど、ここにも書ききれないのでやめておく。そして最後に僕が好きな土佐弁のメロディラインをいくつか紹介して終わりにしようと思う。

「――シャンシモータ。バッサリイタ。」これなんて「あっ、しまった!やられた!」とかしか訳せないけどやっぱりちょっと違いますよね。あと、

「――忙しいに、すまんね。ありがとう。」に対して言う「ナンチャー」とかも「どういたしまして」以上の何かを感じずにはいられない。

御礼

 今月は変化球でお送りしました。ひとりごと。いかがでしたか?前記の2つの文章を読み比べた時、頭の中で再生される「言葉の音」がずいぶん違ったのではないでしょうか?どうでしょうか?そうでもないでしょうか?そうですか…。まあ、なんでもコミコンでみたら面白くなるかも知れない。と思います。ハイ。

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