私たちの声
~ひきこもり整体師のひとりごと~
令和3年12月第2回
自己紹介:楠永洋介
小学校3~4年を不登校、次いで中学校1年2学期~2年生を不登校、義務教育期間中は正味5年程しか登校していません。定時制高校を卒業後、進学、卒業を拒否して祖父の遺したお金でネットスクールや、ワークショップ、FXなどを経験してお金を溶かしました。なんやかんやあって結婚後、2人の子供を授かる。現在、農業、整体業、塾講師等で生計を立てる。
子供が登園拒否気味な話。
嫁さんが子供(6歳)を保育園に送り出した時の話。保育園は通常9:00までに登園して、それより遅れる場合は一報入れなくてはならない事になっている。
この時期には嫁さんが秋祭りに際して行われる地芝居の応援で夜居なかったりする事があって、子供的にも満たされない部分があるようで連日10:00登園(遅刻)が続いていた。
「子供ちゃん、調子悪いの?」と声を掛けたのは保育園の看護士の方、嫁さんは、んーどうだろう?そんなに変わった様子はないけど?と返すと、「最近登園が遅いから、このままだと小学、中学になっても学校行きたがらないかも」とかなんとか。ここで「先生方々が子供にとって楽しいものなら、子供は登園しますよね?」なんて事は口が裂けても言ってはいけないらしいです。言いませんよ。ええ。
まあ親が親(ワシ)だからしょうがないとも思いつつ、嫁さんの話を聞いていると「私は私なりに子供との関係を最良にしようと思って、少々保育園に遅れようが、一緒の時間を作ろうとしているのに…。」と言っていてホントになー。と頷いていた。自分も今まで生きてきて何度と無く送られてきたメッセージ「そんなんじゃ通用しないよ」を今度は嫁さんが周りから言われて少し参ってしまったようだった。
一挙両得のために
声をかけて頂いた先生はウチの事を慮っての事だとは重々承知の上で、そんな先生からの視点を想像すると、ずいぶんひねくれた視点になるが、もし声かけの後、子供が時間を守り登園した暁には「あの声がけが良かったのだ」と思うだろうし、相変わらず遅刻登園が続けば「親御さん上手い事いってないのかな?」となるのでは?と思ったりする。
そうだとすれば、なんともご都合主義である。
ここからさらに飛躍してしまうが、上手く行けば自分の努め、下手に転べば相手の環境。そんなどっちに転んだところで自分が痛い目を見ないのは傲慢である。どうせなら上手く行けば相手の努め、下手に転べば自分の責任。くらいの人間ならまだましだとも思う。(まあ前者は傲慢。後者は悲壮感があったりして、それはそれで付き合う方は大変だと思いますが)
頑張った成果が欲しい
恐らく正解を積み重ねる事で良い方に向かうという幻想を皆抱いているのだろう。僕もそうだ。
そういったシステムの最も恐れる事態、それは誤答の多発でも、ましてや正答の増加でもなくて、教育がさして意味を持っていないということになってしまう事。
今までの努力と認識していた全ての事が全くの無意味で、本当にたまたまそうなったという認識は厳しく自分の無力さの認識を伴う。原因の追及に腐心している人はその原因のなさに当惑するばかりだろう。
教育によって正解と不正解があるという世界で生きてきた僕らにとって実は正解も不正解も無いのかも知れないというのはどうしても受け入れがたい事かも知れない。上手くいかない事が努力の不足という認識はある意味救いがある。努力をすればなんとかなるという事の裏返しだから。
今なおある矛盾
子供を育てるという事はどういう事だろう?子供には何か欠けているのか?配慮?社会性?知識?それを補完するために?教育する?
どの問いに対する答えも僕は学校からは貰っていない。今も学校はこの答えを持っていないのかも知れない。
保育園でも「子供の自主性を」と謳っても、自主的に登園を拒否するのは認めないというか、認められない。それはシステムが崩壊してしまうから。
ここまで読んでくださった皆様に御礼申し上げます。